2010年8月22日日曜日

ヒヤミカチ興南、そしてハイサイおじさん解禁――甲子園雑感

すごかったですね、興南高校。
甲子園の歴史上5チームしか成し遂げていなかった偉業を果たし、
「悲願」とまで言われた夏の甲子園制覇を、笑顔でやってのけた。
人口にして全国のわずか1%、隣の県に行くにも飛行機に乗らないといけない沖縄のチームが、です。
思うことはいろいろあるのですが、絞って書きます…。

●島袋を擁する興南は去年の春・夏ともに1回戦負けを喫している
今でこそ圧巻の強さを誇った王者も、スタートは惨めな思いから始まってるわけです。
参照1 参照2 参照3
果敢に挑んで敗れた悔しさを心に刻み、鍛錬に鍛錬を重ねたからこそ、この勝利があったわけで。
やっぱ、チャレンジして敗れたとしても、その経験が人を成長させるんだよなー、と勝手に教訓として受け止めることにしよう。敗れる経験すらしなければ、成長するチャンスも逃してしまうわけだ、きっと。

ところで、応援曲がこんなにニュースになったことがないんじゃないかという今大会。

ヒヤミカチ興南 甲子園に響け―アサヒ・コム
<7日に開幕する第92回全国高校野球選手権大会で、春夏連覇と沖縄勢初の夏の優勝を狙う興南高校野球部に新しい応援歌ができた。戦禍で荒廃した沖縄を励まそうと戦後に作られ、広く親しまれてきた「ヒヤミカチ節」が原曲。戦後の復興に励んだ人々と同じく、甲子園での飛躍を目指す沖縄球児の新たな応援歌になるよう期待している。
♯ひやみかちうきり ヒヤミカチ興南(エイヤっと立ち上がれ、勝て! 興南) 
(中略)
ヒヤミカチ節は、沖縄の海外移民の先駆者の一人、平良新助(1876~1970)が作詞した。沖縄本島北部の今帰仁村出身の平良は1901(明治34)年に渡米、ホテル経営などで成功した。戦時中の強制収容を経て戦後、沖縄に戻ったが、沖縄戦による荒廃ぶりを見て、故郷の人々を励まそうと歌詞を書いた。
七転び転でひやみかち起きて、わしたこの沖縄世界に知らさ(7回転んでもエイヤっと起きあがって、私たちの沖縄を世界に知らしめよう)。
これに共感した琉球音楽の研究家で演奏家の山内盛彬(1890~1986)が曲を付けた。その後、沖縄独特の手踊り「カチャーシー」で演奏する歌として愛唱され、長く親しまれてきた。>

帰ってきた「ハイサイおじさん」 自粛に演奏の要望殺到―沖縄タイムス
<甲子園で県勢の応援歌の定番として全国的に親しまれている「ハイサイおじさん」が20日、甲子園のスタンドに帰ってきた。応援が過熱しすぎて危険、飲酒を促すような歌詞が教育的に好ましくないなどの指摘があったため、興南応援団は1回戦で1度使ったきり、演奏を自粛していた。興南が快進撃を続ける中、多くの野球ファンから「寂しい」と復活を望む声が相次いだため演奏が実現した。(金城珠代)

準決勝の五回裏。5点を先制された興南高校が得点のチャンスを迎えると、スタンドに聴き慣れた「ハイサイおじさん」のメロディーが響き、応援団の熱気をさらに盛り上げた。

大阪県人会連合会青年部顧問の宮城秀治さん(61)は「この曲が流れるとやっぱり血が騒ぎ、応援にも力が入る。応援の盛り上がりが選手に伝わったと思う」と久々の演奏を喜ぶ。

吹奏楽部を率いる羽地靖隆さん(62)は「聞きたいという声があちこちからあり、チャンスが来たら使おうと思っていた。楽譜もないが、みんな覚えていた」と伝統曲の歓迎ムードに笑顔をこぼした。

夏の甲子園の出場を前に、興南高校野球部OB会は「ヒヤミカチ節」に標準語の歌詞をのせた新しい応援歌を作成。伝統となっていた「ハイサイおじさん」の演奏自粛を求める意見が同校関係者の耳に入ったため、その是非を議論しないまま使用を先送りしていた。>


あっけらかんとしてなんくるないさーなムードばかりが取り上げられる沖縄の民謡ですが、重い歴史を背負っていたり、ノーテンキなだけではない背景やいろんなドラマがあるんです。しかし、深刻な顔をして眉間にしわを寄せれば、問題が解決するわけではない。どうせ一緒なら、明るくいったほうがいいじゃないか。そんな未来志向な、一種の知恵ですね。
それがあの、ピンチでもニコニコ笑顔で乗り切れるメンタリティにつながったんじゃないかと、勝手に思っていた今日この頃でした。

ほんと感動しました!おめでとう!

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