2010年1月21日木曜日

Beautifully Imperfect―家族に優しくしたくなった、外国の公共CM

「最愛の欠点」。
いい言葉なんだなと思いました。

「まったくあの人のこういうとこが…」とあきれながらぼやくようなことって、
なくなってみると一番愛おしく思える部分かもしれないんですね。。。
ということを気づかされました。
↓のフィルムで。




何度見てもじーんときます。
どこの国のものかわかんないんだけど、日本でいう厚労省みたいな役所が作って流した模様です。
こういうの作って流してしまえるってことがすごいと思う。
そういえばフェイスブックにもちらっとリンクを貼ってます。

感動のあまり、英語も中国語もチンプンカンプンな自分の彼女に送ってみたところ
案の定いまひとつなリアクションだったので、訳までつけてあげたら
職場のパソコンの前でぽろぽろ泣いてしまったんだとか。(昼休み中です)

せっかく書いたからその訳までのせときます。
わたしの独断と偏見による意訳・超訳が含まれている可能性をご了承ください。

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(妻の言葉)

きょうわたしは、(亡くなった)愛しい夫を讃えるようなことを話すつもりはありません。
彼がどれだけよい人間であったか、ということも申しません。
そういう言葉はすでに、他の方々に十分話していただいていますし。
そのかわりに私は、みなさんを少し不快な思いにするかもしれないことをお話します。
まずはじめに、ベッドで起きていたことから…。

みなさんは、朝、車のエンジンをうまく始動できなかった経験がありますか?
(大音量でイビキのまね)
夫・デイビッドのイビキは、まさにこのような音でした。

イビキはエンジンスタートだけでは終わらず、その後には排気音になりました。
ある夜なんか、あまりに音が大きくて、彼自身も目が覚めてしまうほどでした。
「何の音?」と彼は聞くのです。
「犬よ。気にしないでおやすみなさい」と私は答えました。

みなさん、おかしなことだと思われますよね。
ですけど、彼の人生の最後の時期、病気がもっとも悪化した頃には、そのイビキこそが、
「ああ、わたしのデイビッドはまだ生きている」と、知らせてくれる音だったのです。
(遺影に目を向ける)

その音を聞きながら眠りにつくことはもう二度とない、ということが、信じられません。
(うつむく。結婚時の記念写真)

ものごとの終わりには、そんなとるに足らない「欠点」こそが記憶に残り、
あなた方にとって「かけがえのないもの」になるのです。

だから、わたしの愛しい子どもたちよ、
いつの日かあなたたちも、そんな「最愛の欠点」を持った
大切な人生のパートナーを見つけられることを願っています。

わたしにとってのあなたたちのお父さんほど、
大切に思える誰かを。

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ちゃんちゃん。


あー、ちょっとだけでも家族に優しくしよっと。


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